BearLog PART2

暇な中年の独り言です

 渋谷によってから帰る

 朝一番恵比寿の子会社の取締役会、帰社して午後一番これまた子会社の取締役会。毎月第二週から第三週にかけては子会社の取締役会が集中するので、けっこう時間をとられる。毎月の恒例行事であるが、立場としてはどれも大事なのでさぼるわけにはいかなかったりする。
 もう6時きっかしにオフィスを出ようかと思ったのだが、だらだら決裁なぞをしていたら、7時半くらいになってしまった。渋谷にいた妻と連絡をとって待ち合わせをして、定番のVINで軽く食事をしてから帰る。呑んでいるうちに、他愛もないことでかなりブルーが入って落ち込んだ(苦笑)

 関係ないけれども、生命保険に入った。
 生命保険に入ると、結果的には自分の生活や命という不定型なものにそれなりの「値札」をぶら下げるわけで、それにともなって、自分の値札を正視しなければならなくなる。自分の首にかけられた値札を正視したとき、そこに自分の思いよりも遙かに貧相な自分の現実としての人生がで〜んと横たわっているのを見ると、か弱い中年男としては、えらく哀しくなる。
 そもそも、そういう風に、自分の首にどうして値札をぶら下げなければならないのか?というどうしようもない現実に、それこそ青二才の私は妙に憤る。自分はどちらかというと野垂れ死んでしまいたい方である。しかし、公私ともになかなかその野垂れ死を許してくれるような風情でもなくなってしまっている。「責任」「権利」「義務」といった紐帯で、すっかりがんじがらめになってしまっている。そういう紐帯については、「やってあたりまえだろう」と言われてしまえば「はいそれまで」といった類のことなので、誰も紐帯とのバランスでうまく生活していることを褒めてはくれないのが世の常。

 となると、いったい自分は誰のために生きているのだろう?と思う。色々格好いい言い方はあるのだが、しかしそれはすべて全部詭弁にしか過ぎない。
 自分の命の進退さえも自分で決められない世界に突入しつつある中年男としての私は、自らの人生哲学との乖離にただひたすらあせり、苛立つだけなんである。

 気が滅入る……