前述の「郵便的不安たち#」で、一部ラカンがトレースされているのだが、今の日本の状況では、「象徴界」が弱くなっており、「想像界」の次にはいきなり「現実界」が出て、認識の及ばぬ所/世界の果て、へと直結してしまうのだというくだりが出てくる。このあたりは非常に説得力がある。
今や、象徴界が弱くなっているため、人々は自らのタコツボに入って、その小さなコミュニティから出て行かなくなるわけだ。小さなコミュニティはあちらこちらに乱立し、そこに横串を刺すようなコミュニケーションは全く届かなくなる。「誰に、どのように」伝わっているのか分からなくなっている「郵便的不安」の世界のコミュニケーション……というところも非常に分かりやすい。
こうやって、90年代以降の現状を明快な言葉で整理してもらうと非常にうれしい。ある意味、80年代の浅田彰的なかんじさえしてくる。とはいえ、東浩紀自身が、「現状は80年代のように見通しはよくないんだよ、むしろそういう見晴らしがたたないから『今』なんだよ……」と事あるごとに耳打ちしてくれているのに、状況整理を喜んで受け入れる自分はやっぱり骨の髄まで、80年代バブル的なスキゾキッズの生き残りなんではないかという気さえしてくる。
もうちょっと考えたいところだ。