BearLog PART2

暇な中年の独り言です

 フィクションを書くことが必要なくなった

 一時期、自分はフィクションを捏造して人々に送り届けたい(短い用語で言えば小説を書きたいってことだ)と思っていたが、ここ10年くらい、めっきりその意欲がなくなった。意欲もなくなったし、フィクションを捏造しようとしても、頭が動かなくなった。しかも、フィクションを読む量が圧倒的に減ってきた。
 そういう状況証拠から考えてみると、自分自身がフィクションを必要としなくなってきているということになると思われる。何でかと考えたときに、一つだけ思い当たるのが、自分の生活が十二分に面白いということがひとつあるのではないかと思われる。
 自分自身が、現実に対してなにがしかの働きかけをしたとき、現実の方がつれないとき、そんなときはフィクションに頼る(フィクションを捏造したくなる、もしくはフィクションを消費したくなる)。でも、自分が現実と寄り添っており、自分のアクションが現実に対して限定的とはいえある種の影響を与えることのできる環境にいるとき、自分は自分という器を通して、現実を生きるというある種のフィクションの有効性を感じることができるので、いちいち書物によるフィクションを消費、生産する必要がない。
 過剰な生が、現実で全て蕩尽されているということになるのか(かっこ付けすぎだな)。
 少なくとも、現実とストラグルすることで、私の生は十分に消費されているので、フィクションを必要としないような気がする。
 最大の娯楽は自転車。