BearLog PART2

暇な中年の独り言です

駆け込み乗車について思うこと

 Twitterでは呟いておりますが、GWの最終日のこと。ヴァイオリンのレッスンに行く途中でのこと。吉祥寺駅。2番線ホーム。上りの東西線総武線は発着するホームである。
 9時41分発の東西線。そこで、悪いことと知りながら、駆け込み乗車をやってしまったわけである。悪いのは知りつつ、締まりかけのドアに体ごと突っ込んだのだ。いかんことです。すみませんと素直に謝ろうと思う。
 結局乗り切れずちょうど二の腕のあたりまでが車内に押し入り、頭を含むそれ以外の部分については車外に取り残されるという惨めな体たらくを晒すことになった。
 これって結果的には両腕だけ車内に突っ込んだ格好であり、かなり悪質なのは言うまでもない。
 両腕がほぼすっぽりと車内に入っているというのは、かなりマヌケな格好だったことは間違いない。このまま電車が発車してしまったら、自分は一体どうなるのかと悩む、というか、引きずられたら死ぬんじゃん的な嫌な結末も頭を過る。
 お世話になった方々、本当にありがとうございます。今までいい人生でした……なんて思っていると、しゅっと音がする。
 車掌さんは新設じゃなくて親切にもドアを開けてくれたわけだが、これが思いの外ちょっとだったのだ。あまりにちょっとだったので、今度は手首がひっかかったままだった。 う〜ん。
 これじゃあ電車の発車とともにホームを引きずられることになるのかなあなどと漠然と身動きとれないまま悩んでいると、またちょっとドアが空いた。そこですかさず腕を引っこ抜こうとしたのだが、なにせちょっとの隙間にちょっとの時間しか許されないものだから、今度は持っていたトートバッグが引っ掛かった。
 引き続き、電車のドアに拘束されたままで、やっぱり俺は電車に引きずられることになるのかなあとぼんやりと悩んだ。最悪はトートバッグを話してしまえばいいのだが……と、悶々としているうちに、三回目にして、またドアがほんの少しの間だけほんの少しの幅、開いた。
 今度こそ、ということで、やっとのことでトートバッグを引き抜き、やっとのことで電車の拘束から逃れることができたわけである。電車のドアに拘束されてから、解放されるまでの時間は多分多分数十秒。とはいえ、長かった。。。
 確かに、駆け込み乗車をやってしまった自分は何と言おうと悪い。申し訳ありません。
 素直に反省をしつつ、しつつ、でもちょっと待てよと考えさせられてしまったのだ。
 車掌さんは都合3回もドアを開閉したわけである。仮にの話、タラレバの話、1回大きくドアを開けて、自分を乗車させてくれたとしよう。多分3回もドアの開閉をするよりも、時間的には1回ドアを大きく開けて不届き者を乗車させてしまった方が明らかに効率的だったんじゃないかと。結局ダイヤ優先で考えたら、1回全開にしてしまった方が多分短時間で発車できたのではないかと思ったのだ。
 さすれば、である。
 車掌さんは短時間、しかもちょっとの隙間だけと限定してドアを3回に分けて開閉したのは何故なのか?ということになる。とはいえ、自分的にはあっさりと答えを出すことができた。それは、
 懲罰
 だろう、ということだ。駆け込み乗車許すまじ、という車掌さんの強い意思のようなものである。こいつ、駆け込み乗車した、一罰百戒、絶対乗せねえ!的な、強靭な固い意志。それは彼の職業倫理からすれば極めて正しいと思う。そりゃそうだ。駆け込み乗車を都度見逃していたら、列車ダイヤなんか守れないことは明らかだ。
 そう、それは私に対する懲罰なのだ。駆け込み乗車をしないという社会常識を守らなかった私に対する懲罰なのだ。
 しかし、懲罰を加えることによる時間的な遅れ(まあ数十秒単位ではあると思うが)は確実に発生したわけで、その遅れを鉄道的にどう考えるかということは、私にはわからないけれども、少なくとも列車運行上、それがポジティブに働いたということは多分ないと思うのだ。
 それに、そういった懲罰については、私自身は小心者だからびしっと頭と心に刻みつけられたのは事実であるが、多分それを逆恨みする人も出てくるだろう。ちっ、あの車掌、いけすかねえ的な坂恨み、筋違いの怒り等々。それが何を起こすのかは分からないが、でも酷い時になると何らかの報復が出たりするかもしれない。
 駆け込みたい者と運行管理をする者との間は基本的には利害は一致しにくい。
 というか、多分一致しない。
 特にドアを閉め始めてからの利害はまったくと言っていい程一致しないというか、正反対の極になる。そして、多分多くの場合、運行管理をする者の論理は正義、正論に限りなく近く(当たり前だな)、駆け込み乗車をする者の論理は明らかに自己中心的で破綻し、反社会的なものになろう。正義が正義でないものを発見した時、そこに懲罰という処置が行われることもある意味では当然だろう。しかし、その懲罰には運行ダイヤや懲罰を受ける駆け込み乗車犯の安全といった部分においてリスクを孕んでしまうこともないわけではない。

 だから何?という声が痛いほど聞こえてくるのだが、本件は自分は何よりも悪いということを認識し反省しつつ、敢えてこう言いたいのだ。
 自分としては、他者に対して極力寛容、かつ全てにおいて臨機応変、フレキシブルに対応していくことを大事にしていきたいなあと思った、
 ということである。

 とはいえ、駆け込み乗車は本当に危険です。個人的には絶対にしないと思ったので、ドアのちょこっと開閉という懲罰については私に極めて有効に機能した、ということだけは事実かと思う。

 例によって、明確なオチはありません。すみませんでした。素直に謝ります。