BearLog PART2

暇な中年の独り言です

秋の明生会を振り返る

 毎回恒例なのだが、9月8日に行なわれた「秋の明生会」を振り返ってみたい。

 今回はいつもよりも出番が多く、仕舞(小督)、素謡(嵐山)、連調(湯谷クセ)、連吟(芦刈)、と盛り沢山の内容。それぞれに課題が残ったが、それは次回以降に少しでも修正、改善していきたいと思っている。

 まず今回の発表会では、角帯を忘れるという大失態を演じてしまった。悔やんでも悔やみきれないが、角帯を貸して頂き、事なきをえたことは今後も自分の教訓として心に刻むとととも、弛緩しがちな身をきっちりと引き締め、精進を誓うきっかけとしていきたい。

 

 まずは「小督」の仕舞から。

 小督の仕舞については、私ごときが言うのも何なのだが、型じたいは比較的シンプルだ。しかし、そのシンプルさの中に宮中の男性の雅なところを出していくというところをちょっとだけ意識しつつ、小督の局にご挨拶をして馬に乗り都に帰るという情景を意識しながら、つまりは舞というよりも映画や演劇の1シーンを演じるようにやってみよう、もっと演劇的な要素を考えながらやってみよう、というのが今回のテーマだった(ちなみに前回の「草紙洗小町」は舞囃子ということもあり、拍子にしっかり乗ることをテーマにしていた)。シンプルな型なだけに、ちょっとした違いで見る方のイマジネーションを逆に刺激しやすいのかなあ、なんて思ったり。

 そういう意味では、特に意識しようと心がけたのは、脇座に小督の局がいらっしゃるというのイメージだった。特に、脇座に向かってお辞儀するところはかなりそれを意識した。後で社中の方が撮ってくれたビデオで確認する限り、お辞儀するところは自分で思っているよりもいい形になっていた。これは非常に嬉しかった。

 とはいえ、課題も残る。一番最初、「立ち舞うべくもあらぬ心に〜」の詞章に合わせて目付柱へゆっくりと出て、角取りをしてから左に回るところ。「あらぬ心に〜」で角取りをして、「今は帰りて〜」のところで左にスタートすると超絶ぴったりなのだが、目付柱に出るスピードがちょっと早くなってしまい、左に回るところで帳尻を合わせたのが、自分としては納得がいかなかった。

 これが起こった理由について考えてみるに、「うれしさを〜」のところで巻刺しをするというところを強く意識していたので、そこに合わせるべく、目付柱までの運びが早くなったのではないかと。「袖打ち合わせ〜」のところで座って扇と左手を合わせるところは絶対にズレてはいけないので、そこから逆算すると、「うれしさを〜」で巻刺ししなければならない。ということは、「うれしさを〜」を起点としなければならず、そこが強く意識に残ってしまったわけだ。

 ゆったりとした間合いをもって仕事をしていかなければならないのに、ちょっとしたあせりが優雅さを奪うのだなあと思ったりもした。引き続き、ちゃかちゃかやらないようにしないといけないと自ら気を引き締めるところである。

 とはいえ、前回のテーマが「拍子に乗る」ということだったのだが、今回は拍子というよりは、「能を演劇として考える」というところで、その最たる型が見えない小督の局をイメージした「お辞儀」で、そこについては自ら設定したテーマはまあまあできたのではないかと思っている。そこそこの満足度。

 

 「嵐山」の素謡は、いつも通り偉大な諸先輩方にくっついていくだけなので、自分で独り立ちしてやっていけるというレベルには依然としてないかんじ。謡については自分の実力が如何にないかがよくわかっているので、先生に付けて頂く稽古と日々に自分の精進を大事にひたすら頑張るしかない、という感じ。

 

 連調(小鼓)「湯谷クセ」については、これはもう大きな学びがあった。要するに一言で言えば、「自分を信じて周囲を気にしない」こと(苦笑)。人に引きずられてしまうところが非常に大きかったので、もっと精進に精進を重ねて、自分の耳と自分の腕を信じて気合を入れて打つ、ということがいかに大事かを身をもって知ったのだった。これはきっと今後色々な局面で役に立つような気もする。

 

 連吟「芦刈」については、半間のリズムは難しく、その難しいリズムを皆で合わせるのはもっと難しいということ。何となくエイトビートが体に入っているように、能が持つ固有のリズムってのがあると思うので、そのリズムを一刻も早く会得しなければなあと思った次第。

 

 やはり諸先輩方の舞台を観て、本当に勉強になったし、やはり芸は舞台の上で人に見せてナンボだと思うので、舞台の上で力を発揮できるように日々精進をしていこうと思っていたりするが、まあ現実的にはどうなんだか。

 それはともかく、皆様本当にありがとうございました。

 引き続きよろしくお願いいたします!