BearLog PART2

暇な中年の独り言です

12月28日 再会で再開するものはあるのか

 午前中、boyで年内最後のヘアカット。いつもどおりのツーブロック、横や後ろはざくっと短く、上と前はあまり切らず。引き続き坂本龍一トリビュートでw 小林さんから「鼻の下に二本線を入れればキョージュですよ」と言われる。確かに過去ここでも書いているが、何人かのヒトからキョージュとのルックスの類似性を指摘されている。まあどうでもいいことだけど。結局髪型白髪丸メガネでキョージュ、一丁上がりなのだ(というと語弊があるか)

 渋谷まで歩いて出てから銀座へ。GINZA SIXで古い知人の個展があるからだ。

 とはいうものの、その個展の前にオンラインミーティングが二件入っており、どうしようかなあと思いつつ、ギャラリーの横にあるスタバは何となく暗くて会議向きじゃないような気がしたので、1階下がった5階の休憩用の椅子をうまく陣取れたので、そこを根城にほぼ1時間45分。iPhone片手にオンラインミーティングとなったw ちょっとスケジューリングがいまいちうまくいってなかったが、支障ないのでよしとしたいところだが、2つ目のミーティングではビジネスの内容そもそもにちょっと問題が起こっているような? 年明け対処。

 時間になったので、6階へ上がったところお誘いしていた高校時代からの友人(今ではそれなりの現代美術コレクターだ)が既にきていたので、ギャラリーを軽く一瞥しつつトークショー会場へ。

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 15時からのトークショーに参加。トークショーでは彼女が過去の自作を語ってくれたりして、その内容があまりにも理知的客観的なので、非常に興味深かった。

 自分の中では、ミヤケマイ先生は感覚の人だ。お茶を嗜み料理をよくし、実は音楽もできる。圧倒的に感覚的な人に見えるにもかかわらず、自作を徹底的に詰めて考えて極めてロジカルにメッセージを折り込んでいる。

 そのバランスってどうやってとっているのだろうか?そもそも発想の始原は論理なのか、感情や感覚なのか? という素朴な疑問を抱いたので、質問の時間に是非聞いてみたかったのだが、タイミングが悪くちょっと聞きそびれた。その後ご挨拶するときに機構じゃなくて聞こうと思っていたのだが、時候の挨拶とミヤケ先生と自分のときの流れを確認している間に何となく終わってしまった(それはともかく自分のことを覚えていてくださって、それだけでも嬉しいことである)。今度お会いできたら、是非聞いてみたいところ。再会に感謝。そして再会で自分の中で何か再開するものがあるような気もしてきた(と洒落ていっているが、やはり何か書かなければというちょっと切迫した感じである。人生は短い)。

 それはともかく作品は相変わらず色々なところに仕掛けがしてあって面白すぎた。カラスを抱く聖母マリア、いいなあと思っていたら速攻で売れていた。もちろん、今の自分には彼女の作品を購入するだけの金銭的な余裕は、、、残念ながらないのだが泣

 作品の中に彼女の心に刺さった本の一節が切り取られ貼られているのも面白い企みだった。この活字が絵の中にぽつんと置かれているだけで、その作品が絵画という枠を飛び出して、勝手にある種のストーリーを語りだし、突然長いストーリーの中のワンシーン、そう陳腐な言い方で申し訳ないのだが、映画のワンシーンになったような、不思議な感覚を得た。静止画が勝手に動き出すと言うか、自分はまったく共感覚者ではないと思うのだが、ある種の共感覚というか、時間が螺旋を描きながら、その始原の瞬間を垣間見ると言うか。ポップな体を装いながらあまりにも深くて面白かった。先生、すごい進化されている。負けてられないなあとちょっと思ったり(いやいやそもそも比較して考えちゃいけないでしょ)。

 久しぶりに御本人にもお会いして、本当に楽しかった。レセプションを辞して帰宅するが、帰宅の途中も自分の過去の愛おしかったり、嫌悪まみれ、汚辱まみれの過去の断片が唐突もなく頭に去来し少し困りつつ、みずからの過去をそんなに忌み嫌うこともなかろうと、とはいえこのまま自宅に帰って家族と顔を合わせるのもなんだなあという感じだったので、ありがたい中継地点地元の名店ハナイグチさんで一人のみすることにした。お一人様オードブルセットに泡、そして地元マウンテンリバーブリュワリーのビールを2本続け、ラム肉シチューでごきげんに。

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 そしていつもの通り江口先生も。自分で言うのもなんだが、何度か見ていたら昔の妻の容貌に、見えないこともない。

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 何だかよい一日だった。こういう日を増やさないと生きている意味もなし。