BearLog PART2

暇な中年の独り言です

「悪は存在しない」の不愉快さについて

 ヴェネチアの銀獅子賞だそうだ。世界三大映画祭にアカデミー賞まで制した巨匠濱口竜介の最新作である。さっそく見てきた。

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 以前くどくど書いたのだが、「ドライブ・マイ・カー」はどっからどう観ても好きになれない映画だった。詳細はこちら。

kumaotaku.hatenablog.com

 だったら、「悪は存在しない」も観ないほうがいいんじゃね?というゴーストの囁きを無視して、やはり話題作は観ておくべきだろうというミーハー心に従って観に行ったわけである。

 で、その結果はどうだったか?

 はっきり言って「ドライブ・マイ・カー」よりは、自分としては観れる映画だったなあと思う。とはいうものの、「ドライブ・マイ・カー」で感じたようなことと同じようなことを今回も感じることになった。

 一言で言ってしまえば、「タイトル倒れ」というか、結局「何がいいたいの?」ということであり、読者に判断を委ねるとしても、中途半端に結論じみたことに触れるものだから、観客に委ねます感もあまりない。唐突に始まって唐突に終わる。

 物語としては破綻するどころか、成立すらしていない。

 色々な素材がバラバラかつ無造作に投げ出されており、そこに何らかのメッセージ性も、見るものの脳髄をフルに稼働させるような知的なカンフル剤も、はっきりいって何にもない。カタルシスも得られず、ひたすら自分にとっては不愉快な時間が継続していく。

 グランピング施設を建設しようとする会社のドタバタ感、そしてその社員たちの意味不明の問わず語り、はっきり言ってそのシーンだけ抜き出したら大失敗もいいところだろう。そのエピソードについてのシーンは本当に不愉快。つまらない。

 とはいうものの、この映画の最大にして唯一の魅力は、自然を美しく捉える「画作り」のところだ。それがなければ本当にどうしようもない映画になっている。というか、「画作り」だけ楽しむとすれば、グランプング施設建設の話ははっきり言って不要だし、グランピング施設建設を巡って、人間にはみんなそれぞれ立場があるんだからさ、というNHKスペシャル的な話にしようとするには、その部分での二項対立があまりにも杜撰だし、とにかく「ドライブ・マイ・カー」でのそれぞれエピソードや登場人物のキャラ設定がチグハグなのと同じように、すべてがチグハグだし、面白いエンディングについても、そのチグハグさの中からやにわ唐突に立ち現れるので、どう解釈したらいいのか、はっきり言って混乱する。

 解釈などしないで観て感じればいいのだ、とブルース・リー的な鑑賞法に徹しようと思っても中途半端に現実感が持ち込まれるから、なかなか感じることだけに専念できず、どうしても左脳が動いてしまい、「あれ?」となる。

 本当に残念なのだが、好きなシーンはいくつも列挙できるものの、「映画」という尺で観たときには本当に意味不明の話になっているのだ。この作品のどこが評価されたのか、というのは少なくとも自分には理解できない。

 しかしながら、繰り返しになるが、映像的には「おお」と唸らせるシーンがいくつもあった。そもそもが音楽の伴奏?として構想された映像が本作のベースになっているからなのかもしれないが、それならそれで画像映像をしっかり連ねることだけでも物語、ドラマツルギーを感じさせることはできたはずだ。

 思わせぶりなタイトルの割にはなんだか分からない作品、というのが自分の印象なんである。

 でも逆に言えば、こういう作品が高い評価を受けるものなのだということならば、自分の評価軸を少し変えていかなければならないのかなあと思いつつ、やはりこちらは身勝手な観客に過ぎないし身銭を切ってみるのだから、感想のひとつくらい自由に言わせて頂くかなあなんて思ったり。

 すみません。