BearLog PART2

暇な中年の独り言です

 ギュンター・グラス氏の告白

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 実は恥ずかしいことに、私は「ブリキの太鼓」の原作を読んでいない。映画のみ、である。とはいえ、映画は私の生涯ではベスト3に入っている。これを見て、「嗚呼読まないといけないなあ」としみじみ思った不心得者であります、すみません。
 グラス氏の場合、問題はナチなだけに、断罪された悪しきものに手を染めてしまったことを自分としてどう総括していくのか、というのは大きな問題となるだろう。ちょっと色合いが違うとはいえ、日本でも戦中戦後「転向」ということが知識人の中で大きな問題として意識されてきた。

 しかし、こう考えてはいけないのだろうか?

 そもそも人間の60兆個(だったよね、確か)の細胞は日々入れ替わっており、以前の自分がどこまで今後の自分でいられるかっていうのは、案外難しいことなのではないかと。「変わらないこと」を正義とするよりは、「良く変わっていく」ことを正義とするほうがいいような気がする。
 過去のことをどうこう言うことは容易い。しかし、過去を踏まえた上で、「良く」変化しようとする意思を持つことはかなり難しい。人の過去は自らに帰属しており、それを公表するかどうかも、すべては個人に帰属する。
 過去は過去。これからどうしていくかの方が重要。告白したグラス氏の勇気を称えるとともに、自らの過去を苦渋とともに抱いてきたであろう彼の心中を想像する。

 人は変わる。変わる過程で過ちを犯すこともある。ただ、変わることじたいは悪いことではない。問題はどう変わっていくかなのだ。