BearLog PART2

暇な中年の独り言です

 カンボジア旅行記 Day4

  • 郊外へ

 今日については郊外へ出かけることにした。9時にピックアップを頼んでいたので、昨日と比較すると朝はのんびり、である。メインダイニングで朝食をゆっくりと食べてから、1Fのアートギャラリーへゆるゆると降りていく。
 あまり関係のない話なのだが、このホテル、男性カップルを何組か見つけた。男二人でカンボジアのリゾートへ旅行に来るということは通なのかどうなのか(笑) まあ深く追求しないでおきたい。それはそうと、9時定刻にガイド氏登場。昨日よりも顔の造作で言えばもっと全然ハンサム氏である。しかも若い。真面目そうなかんじだ。
 ただ我々の注文がうまく通っていなかったようで、ガイド氏の方は、郊外へ行くのではなく、ごく普通のアンコールワット観光だと思っていたらしい。そこで若干スッタモンダする。
 我々が行きたいと思っていた郊外の観光スポットは二つ。一つは寝仏像があるプノン・クーレン。もう一つは川底に彫刻がたくさんあるクバール・スピアン。そのどちらもが、シェムリアップ市内から車で1時間以上かかるところだ。道も悪路、ということになっている。まあ、そういうところへ行くとなると、そもそも話が通っていれば別だが、行ってみて、いきなり「郊外いくよ」と客から言われれば、ガイド氏もちょっと混乱するのだろう。
 ガイド氏の薦めもあって、乾期では水が少なくツマラナイということと、車で1時間以上、かつ駐車場から40分以上歩くということで、今回はクバール・スピアンは諦め、プノン・クーレンに絞り、その帰り道に、昨日のガイド氏のお薦めもこれあり、バンテアイ・スレイという遺跡に寄ってくることにした。この遺跡は、「東洋のモナリザ」と呼ばれる美しいデパダーのレリーフがあるところ、として知られている。

  • 交通事故に合う

 ということで、9時過ぎにホテルを出発。アンコールワット方面へ車は走る。
 アンコールワットに西門近く、土産物売りがいたり、客待ちタクシーなどが駐車しているちょっとしたスペース(駐車場の扱いなんだろうけど)があるのだが、そのスペースの角のところを右折しようとしたとき、駐車スペースから出てきた車がゆるゆるとであるが、我々が乗っている車の横っ腹にぶつかった。ゆっくりとぶつかったので、特に何の衝撃もなく、我々二人、運転手さん、ガイドさん、みな怪我一つないのだが、まあ事故は事故である。運転手とガイドの二人は、さっそく車から降りて、ぶつけてきた車の運転手のところへ行く。
 接触事故によくある光景である。
 我々はその光景を車の中からぼんやり見ていたわけなのだが、運転手同士が口論しているうちに、徐々に野次馬が集まりはじめ、警官も現れた。野次馬の中には、車の中に二人ぽつねんと鎮座している外国人観光客を面白がって、手を振ってくれたり笑いかけてくれる人もいて、それはそれで面白かったのだが、こちとてあまり気持ちのよいものではない。
 口論は警官が登場してきても続いている。ぶつけた車の方は、運転していた初老のおじさんはどちらかというと引っ込んでしまって、運転していたおじさんの奥様だと思われる豪華な宝飾品を身にまとったおばさんが口角泡飛ばしてすごい剣幕で怒っている。我らが運転手さんも一歩も譲らない。
 三十分以上は口論していたと思うのだが、一応一件落着。ぶつけた方が我々のタクシーにお金を払うということで決着が着いたようだった。しかし、ここで奇異なのは、現場に立ち会った警官にもお金を払うということ。これは公共サービスに対する対価なのか、それとも袖の下なのか……一観光客である我々にはまったく分からないことであった。
 ということで、タクシーは無事に走り出したのだが、バイクに乗った警官が我々のことをおっかけてきて、路肩に寄せて停車させた。運転手さんは呼び出されて、また降りていった。他の警官もやって来た。何やら微妙にもめている様子。見ると、運転手さんとガイドさんが財布を取り出し警官に金を払っている。これは税金なのか袖の下なのか、我々一観光客ふぜいに分からないまま、警官は帰り、タクシーは発車した。
「Sorry, Sir!」と運転手さんが運転しながら前を向いたままで言う。「No problem」とだけ言っておいた。別に我々とて先を急いでいるわけではない。

  • 涅槃仏

 プノン・クーレンは、シェムリアップから約50km北東にある。多分2時間くらいはかかったのではないかと思う。この山は山といっても標高400mくらいで、「クーレン」というのはクメール語で「ライチ」という意味らしく、この山にはライチの木がたくさん生えていて、4月、5月にはライチがとれる。山がライチの香りでいっぱいになるらしい。また、ライチには甘柿、渋柿のように、甘いライチと酸っぱいライチがあるということもガイドさんに教わった。
 駐車場から少し歩くと立派な階段が現れる。駐車場から小さな女の子二人が我々一行に着いてきたのだが、この小さな女の子二人は我々の靴を預かってくれる下足番だったということが分かった。カンボジアの人々は信仰が厚く、このような仏教寺院では靴と靴下を脱いで拝観するのだ。ガイドさんが女の子にお金を上げると、嬉々としている。こういうことも雇用なのだと思うと不思議な気分だ。
 階段を上ったところにお堂があって、岩から彫り出された大きな涅槃仏がある。日本の仏像の異常なまでの端正さと比較するとちょっとユーモラスな感じさえしてしまうが、なかなか大したものである。涅槃仏の後側、心ない人が落書きをしている(笑) 落書きでは世界的に悪名高い日本人の落書きはぱっと見たところなさそうだったから、ちょっとほっとした。
 低いとはいえ、やはり低地のカンボジア、400mだとかなり高いところになるわけで、お堂から下を見回すと鬱蒼と茂る豊かな緑が目に入る。かつてこの国で激しい戦闘が行われていたなんて、にわかには信じ難いものがある。強い陽射しの中、赤い土と緑の木々が生え、南国特有の強いコントラストが美しい。

  • 川から滝へ

 お堂から出て、側を流れる川の方へ。川の側には大きな木が生えており、川の水とあいまって、非常に涼しい。そこかしこでビニールシートを広げて現地の人々がピクニックをしている。ここは外国人観光客向けというよりは、街から遠いこともあって、現地の人の観光スポットという色の方が強いような気がした。現地の人か東洋人の観光客が主で、西洋人観光客はあまり見かけない。
 川底にはヒンズー教で聖なる物とされる「リンガ」と「ヨニ」が彫ってある。この「リンガ」というのは男性器の象徴で直立する棒のようなもので表現されている(何と即物的なのか)。またこのリンガは女性器の象徴「ヨニ」の上に屹立していることが多い。「ヨニ」は正方形の箱みたいなものとして表現されている。まあどちらも直截的ではある。
 川のほとりに白、黄色の蝶が水を飲みに来ているらしく、たくさん群がっていて、ちょっと幻想的な光景を醸し出している。川のほとりから移動して、滝を見に行く。滝の上の方は水深が浅く、ちょっとした水遊びができる比較的広めのスペースになっているのだが、ちょっと行けば滝になる。別に滝のところにはあまり役に立ちそうになり手すりがあるだけで、大きな柵があるわけでもロープが張られているわけでもなんでもなく、脚を滑らせて流されてしまえば、そのまま滝壺にぼちゃん、ということになりそうな気配だった。このあたり、アンコールワット等の遺跡と同じようなおおらかな感覚だった(笑)
 滝壺の方に降りる。滝の高低差は約30m。下から眺めるとかなり壮観である。現地の人々は暑さを避けるため、滝壺へ入ったりして水遊びをしている。なかなか優雅な光景だ。私も水遊びをしてみたくなったが、着替えを持ってきているわけでもなく、バスタオルがわるわけでもないので止めておいた。年寄りの何とやら、は止めておいて方がいいのだろう(苦笑)

  • バンテアイ・スレイへ

 昼食を抜いて(朝しっかり食べていたのであまりお腹が減らなかったのもある)、クノン・プーレンを後にして、バンテ・アイスレイへ向かう。途中山道であまりに疲れたらしく、しばしば落ちる。
 道路は本当に凸凹だった。道路の沿いには高床式のカンボジアのごく普通の民家が点在している。野良犬、鶏なぞがちょこちょこ顔を出す。人間や家畜が共存しているある意味、典型的なアジア的な絵面が展開されていく。赤い土煙を立てながら走る車。緑、そして空の青、すべてが強烈なコントラスト、だ。
 途中、正体不明な大きな窪地や小さい土盛りなどを何度か見たが、これは私の想像に過ぎないのだが、全ては戦争の残したものなのではないかと思う。爆弾の爆発の後、もしくは無名戦士の墓等々、ガイドさんに聞くのも何なので聞きはしなかったが、そうとしか思えないものを何度か目撃し、この国が抱える傷を再び思う。
 そうこうするうちにバンテ・アイスレイへ到着する。バンテ・アイスレイはシェムリアップから車で1時間くらいの郊外に位置している。使われている石が少し赤みを帯びているため、壁面が非常に美しく映える。前にも述べたが、「東洋のモナリザ」と言われるえらくきれいな女性のレリーフがあることでも知られている。
 ここは修復している箇所が多いらしく、立入禁止になっているところが多く、「東洋のモナリザ」と言われているデバター像も遠巻きに見る以外にないのがちょっと味気ないが、仕方ない。ふくよかで肉感的なかんじは非常に魅惑的で、性的なものから出て宗教的な神々しさを感じさせてくれるような気がする。たかが石なのに、人が彫って形を与えるだけで、どうしてこうも人は心を動かされるのか。人はどうして自分の姿に似せた絵や彫刻や人形を残すのか。見ているうちに謎が深まるが、それは別の機会で考察していくことにしたい。
 ここのレリーフはいたく細かく、丁寧に作られているようで、他の遺跡と比較しても抜きんでて美しい。しかも、赤い砂岩の肌色と相まって、独特の風合いを醸し出している。
 美しいレリーフに後ろ髪をひかれる思いで、バンテアイ・スレイを立ち去ることにした。

 シェムリアップまで帰る道すがら、ガイドさんに「だいぞー知ってますか?」と唐突に聞かれた。最初、「たいぞー」という言葉が聞き取れず、「体操? ラジオ体操なら知ってますが……それとも器械体操? 吊り輪とか鞍馬とか床とかそんなもの?」とボケをかましているわけではなく、普通に聞いてしまったのだが、カンボジアで命を落とした写真家「一ノ瀬泰造」氏のことであることがほどなく分かった。
 そう言えば、宿泊先のホテルのアートラウンジでも一ノ瀬泰造氏の写真が飾られており、彼の写真集が何冊が置かれていた。
 私は実は不勉強なもので、従軍した写真家で言うと、古くはロバート・キャパとか、日本人だったら沢田教一くらいしか知らなかったので、このホテルに泊まって、初めて「一ノ瀬泰造」という名前を知るに至ったのであるが、ぼんやりと彼の写真を見ている限り、「ああ、いい写真だなあ」と思っていたに過ぎない。
「この先のあたりでたいぞーが死にました」
 ガイド氏があっさり言った。
 不思議な気持ちになった。私なぞは平和ボケの極みなので、従軍して戦争の辛酸を世に伝える従軍カメラマンという職業に直ぐには実感としては理解できないのだが、一人の日本人カメラマンが命を落としたということと、自分が何の危険もない形でぼんやりと車でここを通っているというこの落差、私の中では割り切れない何かが確実に残った。
 自分はこの国を通り過ぎる一旅行者にしか過ぎないが、いったい何ができるのだろう? 何をしなければならないのだろう? 何ができるのだろう? 多分何もできないのだろう。ただ、自分がいかに無力であるかはよく分かったような気がする。
 そんなことばかり考えながら、シェムリアップに帰ってきた。
 夕日の中のアンコールワットを見ようと思った。やつは何事もなく変わらず、でんと建っていた。雲が多く、夕日は思ったよりも赤くならなかった。ただ順光で見るアンコールワットは細かい造作がくっきりと照らし出されて、それもまたきれいだった。

  • 晩ご飯

 今晩の晩ご飯もホテルのダイニングMerivで食べる。以前にも書いたブランコチェアで、New Year Eveのスペシャルディナーを食べるのだ。食前酒にシャンパン、そして白ワインを一本オーダーして、クメール風のフランス料理に舌鼓をうつ。ちょっと前まで内戦をしていた国でも、平和にさえなれば、人が集まり、商売が生まれ、富が生まれていく。貧富の差がどうなるのかは別として全体としては生活水準は向上していくし、そうやって経済は回っていく。平和になることによって、人々の生活は明らかに改善していく。
 月並みな言葉なんだが、平和でいることの大切さを、場違いなブランコチェアでのディナーで明確に認識する一夜だった。
 食事が終わる頃、アートラウンジでは、年忘れのパーティーが開かれていた。DJなんかも呼ぶんだよ、とホテルの従業員が自慢げに言っていた。行けば行ったで楽しいだろうが、私たちは明日、初日の出を拝むべく、4時に起きて再度アンコールワットへ行く予定だから、大晦日は紅白も見ずに早寝をするのだ(笑)
 明日に続く。