BearLog PART2

暇な中年の独り言です

 立場を変えることのメリット

 人間はそれぞれの「立場」で、モノを考え、行動していく。この「立場」というのが厄介なもので、人間の客観性や自発性、創造性といった優れた美徳を曇らせることが多い。社会が複雑化する中で、「立場」というものがどんどん肥大化していくわけで(まあ、マルクスが言う「物象化」に近いかもしれない)、この「立場」の範囲内でしかモノを見れない人は、この世界の中にはやたらと多い。
 卑近な例で言えば、経営者の「立場」と従業員の「立場」というのは、ある一定のレベルまでは協調路線をとることができるのだと思うが、本質的には、双方相容れないものである。従業員からすれば、企業価値や企業の財務内容についての責任というのは基本的にはないわけで、そこは全部経営陣が背負うことになっているのは言うまでもない。従業員は従業員としての「立場」で会社の中を見るし、経営者は経営者の「立場」として会社の中を見る。この二つの陣営の間で対話が可能だという人は多いかもしれないが、私は本質的には「対話は不可能」と考えている。「立場」において、妥協できるところはほとんどないと思うのだ。
 では、対立する「立場」をなだめて、どうコントロールしていくか? 「人に使われたくなければ、人を使うしかない」わけで、この本質的に乗り越え不可能なこの両者のギャップに自覚的にならない限り、経営陣は会社じたいをコントロールすることはできないと思う。
 とはいえ、そのギャップに自覚的になっただけではだめで、そこには何らかの人間的な「愛嬌」のようなもの、まあ軽い言い方をするならば「人間的魅力」というものだろうか、それがないと辛いと思う。
 この愛嬌を身に着けるのはなかなか難しい。私には多分その愛嬌はない。しかし双方の立場の皮膚感覚を知っているだけでもだいぶ話は変わってくるとは思う(言い訳か?)。
 皮膚感覚を養うに一番いい方法は、立場を実際に変えてみる、というものだ(笑) 私はサラリーマン(従業員)と経営者の両極端を行ったり来たりしており、はっきり言って、双方の立場は死ぬほどよく分かる(笑) まあどっちもどっち、なのだ。これは双方の立場を経験しているから、あっさり言えることであって、普通はそうは言えないと思う。「まあそうなんだよね」ということを双方の立場にいえてしまうことだけが、私の芸で唯一優れているものだろう(笑)
 経営者になる人も昔は従業員だったわけだから、双方の立場を分かっていると思うのだが、ただ私のように比較的短い年月で言ったり来たりしていると、気分的には分かるが、それが遥か昔……のことになると忘れてしまうと思うのだ。大人が子供の心を忘れるように(笑)
 とはいえ、「使われる人」から「人を使う人」になることは、さして難しいことではないと思うのだ。
 人に使われるのが嫌な人は、起業することをお薦めする(笑)