出典はこちら↓
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20080903/169486/
隈さんは(名前が「クマ」だからというわけではないが)好きな建築家の一人である。その辛辣な文章やわけの分からない素材で建てちゃうところも好き(とはいえ、自分の家にはしたくないが)なのだ。
上記URLは養老先生(こちらはあまり個人的には好きではない)との対談であるが、あまりに面白かったので引用させて頂く。
隈 とはいっても、建築の基本はやっぱり人間同士の信用関係なんです。特にコンクリートが主流になった20世紀のやり方というのは、その信頼で成り立っているから。だって、コンクリの中に何が入っているか、一度コンクリを打ってしまったら分からないですから。
——えっ、中に何が入っているか分からないんですか。
隈 そう。だから社会が人を信用できない殺伐としたものに移行した途端に、事件は出てくるわけで。
養老 強度偽装だね。
そうかと思った。
結局、建てるというプロセスを考えたときに、コンクリートを使うということは、そのプロセス自体のトランスペアレンシーをどうやって担保するのかということが問題なんだということなんだなあと。
これはすなわち、今の資本市場における「会社」の問題とまったく同じだ。会社の中でのオペレーション/プロセスは、一般の外部の投資家にはまったく見えない。そのための開示制度だったり、公認会計士だったりと、いろいろなところで権力の側から、「信用」を担保する制度を提供はしているが、それも完全なものではない。
いまや、「分業」によって、自分の知見の及ばないものについては、完全なるブラックボックスになってしまっているわけで、そのリスクをどう考えていくかということなのだなあとまじめに思った。
コンクリート、証券化……、人が皮膚感覚を持ち得ないプロセスについては、恐怖を感じておく必要を実感する。
赤信号はやはり「怖い」のだ。