BearLog PART2

暇な中年の独り言です

日記(20230813)

二日酔いというほどではないが、頭と身体が重い。娘は友達と富士急ハイランドに行くと言って早々に出ていく。娘がセコムを解除せずに玄関を開けたので、対応のために起きざるを得なかったが、結局二度寝。覚醒してジムへ行ってトレーニングしたのは昼頃。いつもは能の謡を聞くか、動画を見るかしながらトレッドミルを30分くらい走るのだが、それもカット。筋トレだけになった。

帰ってきてから、この前晩ごはんをご一緒した大学の友人から教えてもらった本がamazonから届いていたので、そいつをひたすら読む。面白い。

こういう人を雇っているんだから、東工大リベラルアーツって面白いなあと思う。我が母校もデータサイエンスなんてやっていないで、こういう学際的な知の探求に邁進してほしいと思うんだけどな。企業の欲しい人材を養成(企業の要請で要請する笑)するのも分かるんだけど、学問というのは狙ったところから狙ったものが出てくるというよりは、適当にここほれワンワンしたものがドカーンと当たるみたいなところがあるような気がしており、そもそも我が母校は企業予備校的な色彩が強いのだが、それだけになってしまうと学問という太い樹木がゆっくりとではあるが枯れていくのではないかという危惧を感じるぞ。

さて自分が本書に関心を持ったのはマブダチのおすすめだからということもあるのだが、それ以上に自分が能楽を学んでいるということが大きい。能面を着けると視界がぐっと狭まってしまうので、目の見えない人々がどうやって世界を認識するのか、というところに非常に興味があったためである。

案の定、能楽でもあるような話がたくさん出てきた。

例えば、目の見える人は目に見えている空間を二次元的に把握するが、目の見えない人は三次元的に把握するということ。シテとして能舞台に立つと、舞台をさまざまな磁場が発生する三次元とか四次元とかの空間として認識する(というか、認識しないと大変なことになり、能を舞うことはできなくなる)。四本の柱と自分の位置関係、そして地謡(コーラス)や囃子方の音の大小や聞こえ方で場所や何をするのかが決まってくるので、多分通常の見えている空間よりも見えていないがゆえに把握すべきパラメーターがぐんと増える。

さらにもう一つ言えば、足の裏で能舞台の板の目を感じたりすることでさらに自分の位置関係を精緻に把握することなど。とにかく本書に出てくる事例には思わずうなずいてしまうことばかり。能面を着けているが故に視界が狭まり、そのため通常と違った空間認識能力が求められるようになるわけで、それが目の見えない人の事例といい感じでの対をなしているような気が自分にはした。よって一気読み。面白かった。

この前読んだ芥川賞受賞作の「ハンチバック」もそうだが、我々は他者のことをまったく何も知らないのだなということを最近ものすごく認識する(遅いよ!というそしりはあえて甘受しよう)。自分が世界を認識するときに使うスケールは決して盤石ではないし、頼りないし、そのスケールを常に相対化しておかなければならないという必要性を強く感じた。

ということで、それなりにのんびりした三連休だったような気がする。世の中的にはまだ来週もお盆だが、だらだら仕事をしつつ、お盆気分を味わうことにしようと勝手に決めている笑