BearLog PART2

暇な中年の独り言です

1月24日 わが母なれどなかなかの傑物、その後塵を拝する息子、であった

 そう言えば合気道の稽古を始めてから多田先生の本をちょこちょこ読んでいると中村天風の話がよく出てくる。そこで中村天風が何者なのかということを知りたくなって、こんな本を買ってみた、久しぶりに電子書籍で。

 

 自分は今までこの手の本をまったくと言っていいほど読まないできた。というのも、大体の場合、何かの戒律や規律のようなものに従って生きていく、もしくは自分を律するということがどうにも馴染めそうになかったからだ。だからこの本もあくまでも「興味の対象」ということで読み始めたという次第。ちょっと不埒なかんじなので申し訳ない気持ちでいっぱいなのだが。。。

 色々と?なところがあるものの、色々なロジックあるものの、煎じ詰めると「心を積極的にする」ということのようだということが少しずつ分かってきた。なるほど、それはそれであり得る。そこに至る理屈はともかく、生きていくという姿勢としては悪い話ではないなあ、なんて思ったりした。

 そういうことが暗に影響を与えたのかどうかは知らないが、まあ自分は割と安易に色々なものの影響を受けやすい質だから、そうなのかもしれないが、そもそもが皮肉屋である自分の性分では何も産まないなあと思い、この「積極性」を意識していることにしてみようかと思ったり。中年男性としては色々悩みもあってダウナー入る日もあるのだが、とにかく明るく気楽に積極的にいってみようと思ったりしたら、意外と気が楽になったのも事実。不思議なものだ。

 朝一番から出社、今日は一日押印当番。気分を明るく積極的にと意識したことで、確かに一日いい気分で要られたような気もするが、これがいつまで続くのかは謎。そもそもこれって、週末に読んだ中野信子の本と同じじゃん、なんて改めて気付く。

 

 まあ理屈付はともかく、そういうのがライフハック的には良いのだろう。理屈ではなく、生きていく上で自分自身とうまく折り合いをつけるテクニックみたいなものか、と理解する。

 午後歩いて投資先へ赴き、比較的重要なミーティング。重要では会ったものの、そこでの結論は比較的用意にでつつ、しかしながら色々と問題点も発見できたのでよしとした。歩いて15分程度の道のりではあるが、いやはや寒い寒いゴールデンカムイ。冬来たりなば春遠からじとつぶやきながらオフィスに戻る。その後はデスクワークを比較的効率よく。

 19時半くらいに実家へ行き、ご飯をご馳走になる。焼肉。そして先週大絶賛したら、母が奮発してくれてまたもやルイ・ジャドさんのジュブレ・シャンベルタンのハーフがあったので有り難く頂戴する。

www.instagram.com

 実家では母から興味深い話を聞く。「私はお寺や神社にお参りに行っても人や自分のことをお祈りしたことがない。私はいつも『今年も無事にお参りに来れた。そのことについて感謝します』とだけお祈りするのよ」とのこと。「さすがにあんたたちの受験のときくらいはちょっとお願いしたことはあるけどね」

 そこはさすがに人の親か。

 母の弁を聞いて、なるほど、とちょっと思う。「神は自らを助くる者を助くる」のだ。こういう母親だから、母に会ったことのある私の友人や知り合いは母のことを大変に面白がってくれる。たまにこういう話が出るから実家に帰って母親と話していたりするわけだ。孝行したいときに親はなし、墓に布団は着せられず。

 中村天風先生にしても中野信子先生にしても、色々おっしゃっていることはあるのだが、うちの母が言っていることと大して変わらない。

 鰯の頭も信心から、とはよく言ったものだ。