BearLog PART2

暇な中年の独り言です

石先生のこと

 8月25日に亡くなった石弘光先生のお別れ会が10月2日に如水会館で行われた。

 一橋大学在学中、石先生にはちょっとだけお世話になったことがある。教養課程(前期)で開かれていた先生のゼミに参加し、ミクロ経済学マクロ経済学の基礎的な英文のテキストを輪読していたことがあるのだ。当時は、キレキレの財政学者として、そして厳しい教育者として、先生も油がのっていらっしゃった時期だったのではなかろうか。
 そのときに使ったテキストが何だったのかすっかり忘れてしまったが、教養課程の入門書としてはよくできていたテキストだったと思う。通常のゼミならば、レポーターが先生の指示した場所を翻訳し、レジュメを切って説明するといったスタイルが多いかと思うのだが、先生は事前のブリーフィングで、「おれはレポーター制は嫌いだから、説明する人をその場で指名するからな、皆きちんと事前にテキストを熟読して来るように」という指示があった。先生曰く、「レポーター制にすると、レポーター以外は全員勉強しなくなるから」ということだった。
 きちんと訳せなかったり、説明できなかったりしたら、それはそれは怒られた。
 だから皆きちんとテキストを読んできたものだった。それなりの緊張感の中で議論は進み、あの前期ゼミで、マクロ経済学ミクロ経済学のイロハのイを叩き込まれたような気がする。まあ、それが今になって自分の中でどこまで定着しているかは定かではないが、当時は自分の頭も柔らかかったから、それなりに血肉となったことだけは間違いない。
 ゼミの合宿にも行った記憶があるし、コンパも結構頻繁にやっていたような気もするし、先生は毎回コンパにも参加されていたように思う。ゼミが開講されていた1年間、それは非常に密度の濃い時間だったように思う。前期のゼミだったとはいえ、先生はかように手を抜かなかったのだ。

 今はどうか知らないが、当時の一橋大学では、学生生活の中で専門課程(後期)のゼミ選びが非常に重要なことだった。ゼミ次第で後期の2年間が決まるからだ。
 経済学部で言えば、公務員を大量に排出するゼミや学者系、就職が安定している等々、学生も現金だから、そんな世俗的なアングルでゼミ選びをしていたようにも思う。確か当時、武隈慎一先生が公務員試験の試験委員を勤められていたこともあり、武隈先生の難解なミクロ経済学の講義が結構な人気だったり、確か武隈ゼミも人気があったような覚えがある。
 そんな中、閉講せまる前期石ゼミでも後期ゼミ選びの話になった。石先生のお人柄がすっかり好きになっていた私は、漠然と後期も石先生にお世話になろうかと思っていたのだが、実はそうはならなかった。先生はあっさりと、
「君らは前期で1年間もおれとつきあったんだから、後期は違う先生のゼミに行け。おれのゼミを志望しても落とすから」
 とニコニコ笑いながらおっしゃった。
 当時の私は、なるほどな、世界を広げるという意味では先生が言うのはもっともだ、と思い、財政学とはほぼ真逆の理論経済学を学ぶべく、山崎昭先生のゼミの門を叩くことになる。
 後期になってからは、山崎先生のもとで、理論経済学の、ある意味独自完結した理論の展開に少々違和感を感じつつも、そもそもの数学好きという性向もあったことから、それなりに楽しく(学問という意味だけではなく)、後期の2年間を過ごしたわけである。とはいえ、それも今となっては自分の中にきちんと残っているのかどうかは甚だ心もとない感じではある。
 卒業してから、しばらく年賀状のやりとりがあったが、それも私自身が転勤したり転職したり等々があって、なくなり、もちろんお会いする機会もなく、お別れ会に至っている。本当に不徳の致すところ、である。光陰矢の如し。先生は、時間厳守がモットーで、講義の開始時刻に遅れた生徒は絶対に教室に入れなかったことを思い出す。時間を無駄にすることは、相手の人生と自分自身の人生に対する冒涜なのだ、と先生は考えていた気がする。

 先生のお別れ会には随分と多くの方々が参列されていた。お別れ会で配られた冊子ではスキーをされている石先生の写真があった。挨拶は喪主の方ではなく、先生自身のお言葉だった。
「みなさんにお別れを言うときがきたようです」
 そのご挨拶を読んだとき、何とも言えない気分になった。自分自身の死を意識したとき、先生の脳裏に浮かんだことは何だったのだろう? そのご挨拶の中では「満足のいく人生だったように思う」という一節もあったが、実際のところどうだったのだろう?
 石先生のご性格からすれば、嘘偽ることなく本当に満足のいく人生だったのだろう。私自身が、生の終わりを迎える際にどういう状態になっているかは今の段階では幸いなことに想像すらすることができないが、先生のように穏やかに死を迎えることができるのだろうか。穏やかな死を迎えるために、日々の些事を修行の過程として耐え忍びつつ生きていることになるのだろうなあとうっすらと思ったりもする。

 謹んでご冥福をお祈り申し上げます。