久しぶりに某官庁を訪問。面白いミーティングだった。この「面白い」というのは色々な要素が複雑にからみあっており、多分これを「面白い」と表現するのは、クマおたくぐらいではなかろうか(苦笑) やはり官庁が国家レベルでのリソース配分を考えたとしても、それには多分限界があり、「市場」という化け物はかつてないくらい大きなものになっているわけで、その「市場」を通さない限り、政策はうまくいかないことだけは、リーマンショック以降とはいえ明らかだと思う。
市場と政府はどのような関係をキープすればいいのか、というのはある意味で永遠の課題であると思う。この永遠の課題に答えられるならば、大半の経済学的な議論は必要なくなると言っても過言ではあるまい。
別にこのミーティングと関係があるわけではないのだが、人は自分の過去についてどういう認識を持つものなのだろうか?ということを少々考えた。自分の過去は栄光に満ちあふれている? 自分はいつも正しいことを言ってきたのに不当に世間に黙殺されている? 失敗の連続? 色々な過去の振り返り方があるのだと思うけれども、その中で一番おしゃれなのは、分裂病的に「自分の過去? 関心ないなあ。しかも何やっていたかんて覚えてないぜ」とうそぶくことなのではないかと思った。
別に自分は、相当程度過去に無頓着で、現在やっていることにさえ飽きっぽい方だと思うけど、何歳になっても自分の過去については無頓着でいたいなあ。と今日、とある現場を見て、真剣にそう思った。
ま、どこかで過去にすがって生きていく情けない老人になるとしても、少なくとも、その時期をできるだけ遅らせたい。
人は過去にも未来にも生きずに、現在今この一瞬に生きているわけなので。