BearLog PART2

暇な中年の独り言です

 家族の肖像

 ここでは一人称は「私」ではなく、「僕」。なぜ「僕」かというと、それは未成熟な自分を再認識するため。だからこそ、敢えて一人称を「僕」にする。私の中では「私」は相当成熟した人間の相貌を示すからだ。一概にそうではないかもしれないが、今回は「僕」。
 ということで。
 僕は、自分が子供を授かるまで、自分自身が「家族」という営みをどのように育んでいくかということを、あまりマジメに考えたことはなかった。自分が子供を持つことができたのは、まさに僥倖のようなもので、自分は子供を持たないまま人生を終えるのだろうと、漠然と諦めていたようなところがったから、今まで「家族」というものを正面からにらみつけ、思考の対象としたことはなかった。
 とはいえ、今回、自分が子供を授かってみて、否応なく、「家族」と正面から向き合わなければならなくなった。
 そういうときに、一番参考になるのは、多分、自分が幼少期から巣立ちを終えるまでの間過ごした、父と母、そして私の場合弟一人の四人からなる、自分の「家族」ということなんだろう。
 しかし、自分の家族を考えたときに、それは参考になるのか? 自問自答してみる。
 父は、典型的な「昭和」な人なので、家にいなかった。
 日曜日はゴルフに行くか、そうでなければゴルフの打ちっぱなしにいってしまう。たまに打ちっぱなしに連れて行ってもらうのだが、別に打席に立たせてくれるわけでもない。コーラと漫画を与えられて、ひたすら後ろで待っているというもの。
 すべてはそこに尽きる。全員参加の家庭はなかったのである。少なくとも僕には。
 父が忙しい人だったから、家族旅行に行ったのは数えるほど。熱海、伊勢志摩、京都、松本、長崎(これには父は不参加だった)。多分これくらい。家族というと、母、弟、私の3人が基本的はメンバーで、父はゲストミュージシャンくらいの感覚だ。
 あまり参考にならん。ってか、僕らの世代では、そういう家庭の方が多いんだろうけれども。
 僕が育った家族は何かに困っていたということもない。唯一の例外は、弟と僕の小児喘息くらい。それ以外は、金銭的にも、子供の教育上のことでも、何か深刻な問題があったという記憶がない。
 多分、今の僕は、当時の父ほど裕福ではない。
 僕は家には早く帰る。週末も基本的には家にいる。
 そして、家族3人で過ごすのが楽しくて仕方がない。
 一緒にいると楽しいという以上の考えは、今現在何もない。なまじ社会科学をかじっているので、「近代という病としての核家族」的な見方が妙に体に染み付いているところもある。だからこそ、娘をどう育てるのか? 家族としてどうやって社会と対峙していくのか? といったことを考え出すときりがないし、先に述べたように、自分の家庭を考えてみたところで、さしたる示唆も得られない。
 僕はこれから、妻、娘、そして自分というたった3人の家族の肖像を書いていけばいいのか?
 う〜ん。
 オチはない。
 とにかく。実践の中でじっくりと考えてみたいと思う。