BearLog PART2

暇な中年の独り言です

 直行→ミーティング→帰宅、「金持ち?」

 朝は直行神田。取引先の方と一緒に「かつまん」というお店で昼食を食べる。この界隈では有名なトンカツ屋さんらしいのだ。ほっほう、というかんじである。「ここのカツ丼は『大カツ丼』しかないんですよ」と言われて、おお、それは基本的には40越えても大食らいである私は挑戦しなければならないなあということで、さっそく「大カツ丼」を注文。
 大カツ丼が来た。どんぶりは大きい。手に持っていると手首が痛くなりそうだ(笑) 味も非常にいいし、トンカツの肉質もいい。これいいやというかんじだ。とはいえ、量は、、、実はそんなに大したものではない。私にとっては普通な量だった。一緒に行った方は「午後、会議があれば寝れますよ」とおっしゃっていたが、そこまで腹がくちくなるようなかんじではなかったのだが、それはひとえに私が大食漢であるからだろう(笑) それはそうと、このお店のトンカツは美味しい。
 帰社してミーティング等々で忙殺される。自分の作業時間がなくなってしまうのが困る。自分の作業を人にふれる体制にもまだなっていないし、どうしようかなあという感じである。そもそも、仕事内容からして、簡単に人にふれる仕事でもないわけで、私のようにマネジメントとはいいながらも現業仕事を持ってしまうような人間には、一生ついて回ることである。
 帰宅してから、妻と「金持ち」とはどういう状態を言うのか議論する。議論するというか、まあ話をしただけなのだが(笑) 現状の私の給与は、世の中の平均的な給与水禽から言えば上の下、中の上、ぐらいかなと思うのだが、それでも前職から比べるとかなり下がっている(笑) 業種における平均的な労働分配率の問題もあるだろうし、会社の中でのポジション等々の問題もあるので、それはそれで仕方のない問題だと割り切ってはいる。別にフローでもストックでも金に困っているわけでもないし。
 多分、世の中で言えば、そこそこ高額な所得を得ていると言っても不都合はないくらいは貰っていると思うのだが、生活に余裕がないのは何でだろうね?というところから始まった話なのだ。別に住宅ローンが残っているわけでもないし(とはいえそろそろ一戸建ては欲しいが)、フローで赤字かというと(微妙な月はあるが)そうでもないし、そこそこ貯蓄もある方だとは思う。
 でも、「余裕」というものが我が家には感じられないのだ(笑)
 謎といえば謎なのだが、それは日本という国家に対してある種の不信感を持っていて、今の自分のパーソナルファイナンスの状況だと、怖くて怖くて仕方がないから、、、なのではないかと仮説を立ててみた。
 グローバル経済が前提になってしまうと、以前にもこのエントリで書いたのだが、我々はそれこそハーバードやスタンフォードMBA取得者と、世界的な労働市場で互して戦っていかなければならない。それは自分が起業するにしても宮仕えをするにしても、同じ事だ。
 以前は日本という護送船団方式の中で、ある種の日本という閉じた経済的空間の中で国家が推進する「所得再配分」のおこぼれに預かって何とか生きていただけなのではないか、と思うのだ。自分が作っている付加価値以上に所得を得ているというか。要するにそのシステムが崩れたわけだから、我々はグローバルに「市場」という場所で、自らの「労働力」を売って収入を得なければならないのだ。 
 そう考えると、今の自分がいかに貧弱な「労働者、資本家」であるということを如実に感じてしまうのだ。だからこそ、「稼げるうちに貯め込め」という冬を前にして巣穴に木の実を貯め込むリス、もしくは冬眠前に鮭を食いまくるクマ、のようなかんじになっているのではないか。だからこそ、本来なら余裕があるはずの自らの生活が余裕をもって感じられないのではないか、ということ。
 世界的な労働市場で自らの能力が試される前に、だいたいストックで邦貨換算5億円くらいあれば、死ぬまで安心して暮らせるのではないかというのが、暫定的な結論。
 私は、自らの能力において、謙虚なのだ、と自分では思っている。我々ホワイトカラーは衝撃に備えなければならないはずだ(冷汗)