BearLog PART2

暇な中年の独り言です

 私自身は、ディズニーのプリンセス物にはまったくもって関心はない。とはいうものの、娘がずうっと「ラプンツェル」のことばかり話しているので、彼女のために買ってみたというわけである。
 話じたいはグリム童話の「髪長姫」に由来するものらしいが、グリム童話の方は、例によって、ちょっと性的な匂いがする話らしく、それについてはさすがディズニー、全部さっぱりそぎ落として、家族揃って安心して楽しめるように作っている。
 話はどうでもいいのだが。
 私が唯一感動したのは、やはりCGの素晴らしさ、だ。アニメというよりもある意味で実写に近いような気さえしてしまう。
 キャラの動きも明らかにモーションキャプチャーでやっているようで、滑らかで無理がない。こういうのを見てしまうと、俳優という媒介項を使って、表現をしていく実写映画というものは、なくなることはないけれども、娯楽という分野では主たる表現形態ではなくなってしまうのではないかという気さえしてくる。
 要するに、映像作家の頭の中にあるものを120%忠実にCGで再現出来てしまうほうが、パラメーターがあまりにも多い、実写よりもカンタンだし、いいのではないかと思ったのだ。
 結局、芸術というのはある種の表現形式を通してのみ、第三者にイメージや思想、理念を伝えられるものなのだから、形式におけるノイズは最低限である方がいいに決まっている。音楽だって、楽譜を見て忠実にその音が頭の中に浮かぶならば、多分その方がいいのだと思ったりする。だから、CGの方が余計なノイズがなくていいのではないかと思ったりするわけだ。そもそも私自身、集団行動が苦手だしwww
 とはいうものの、その媒介項により混入されるノイズが全部悪いというわけではないし、そのノイズじたいが価値を持つこともあるわけだ。つまらない話を名優が演じると、なんとやら、みたいな世界だ。つまらない曲でも演奏家の技量で素晴らしい響きになってしまったり……。とにかく、一人の頭の中にあるものを純粋に取り出すのは不可能だ。
 CGとて、エンジニアなりアーティストが寄り集まってひとつのものを作ってる以上は、やはりどこかにノイズが交じるし、そのノイズが魅力になっていたりもするわけだ。
 と。
 ここまで考えてしみじみ思った。
 失礼。前言もとい。
 要するに繰り返し言うが、人の頭の中にあるものは、純粋な形で取り出されることはない。アウトプットに際して、色々な要素(それはノイズかもしれないし、内在するイメージを拡大するかもしれないし)が混入されることは避けようがないということ。
 それがCGであっても、実写であっても、そこに携わる人々とのインタラクションをもって初めて作品として成立する、ということだ。
 などという、お話とはまったく関係ないことを考えながら、娘と一緒に楽しんで観てみた、ということである。
 失礼。