BearLog PART2

暇な中年の独り言です

2月1日になると想い出す

 今年も2月1日がやってきた(というか、もう過ぎた)。

 2月1日というのは、皆様御存知の通り都内の私立中学入試の集中日なのである。

 かく言う私も四十一年くらい前の2月1日に西日暮里にある某名門中学の入試を受けた口である。

2月1日は国語算数理科社会の四教科、2日は確か面接。3日に発表。当時はWEBなんていう便利なものもないから、学校まで合格発表の掲示を見に行く。そういうスケジュールだった。

 そもそも私が中学入試の準備を本格的に始めたのが五年生の春休みからだったから、出遅れも出遅れ、後発も後発だ。それに加えて、親が「受けてみたら」と言うから受けただけで、本人の強い希望があったわけではない(と言っても、大抵の中学入試については子供の意思なんてないのかもしれないけれど)。

 志望校選定についても、当時埼玉に住んでいた関係で西日暮里は通いやすいだろうというだけの理由で、西日暮里の学校にしたという安易さであり、今にして思えばそもそもは無謀なトライだったということになるだろう。

 後発で始めた受験勉強だったから、受ける模試受ける模試、結果は芳しくなかった。しかしながら、当時の私はどういうわけか楽観的で何を思ったか「絶対に受かる」と信じていた。今となっては笑うしかないのだが。自分としては、地元の公立小学校では多分学年で一番(自分で言うのも何だが)だったから、根拠ない自信があったんだろう。わはは。ここ笑うところ。

 結果がどうだったか。

 言うまでもなく不合格であった。

 当たり前だろう、みんな四年生くらいからガンガン勉強していたんだから。

 合格発表を見に行って自分の番号がなかったということ、その後自分の人生で何度かある出来事の一番最初がこのタイミングで訪れたのだった。

 しかし自信は自信、現実は常に人の自信を打ち破る方向にしかいかないものだ。現実は思ったとおりには絶対に進まないものだという当たり前のことを十二歳で幸運なことに経験することができたわけだ。

 しかしそのように思えるようになったのは随分後になってからであって、十二歳の自分にとっては大変なショックだった。

 はっきり言って悔しかったし、家族に見られないようにこっそり影で泣いたりしたものだ。今となっては笑っちゃうけど、当時の自分にとってみれば大事件だったのだ。大して努力しなかった割には随分と大袈裟にショックを受けたものだ。今となっては本当に笑っちゃいます、である。

 だから、この日2月1日が来る度に当時のことを想い出す。しかもここ最近うちの娘も塾に通って中学入試対策をし始めているのもあって、2月1日という日が自分に重くのしかかってくる(というのはちょっと大袈裟かな)。

 しかし、である。この十二歳というタイミングで、現実が自分の思ったとおりにならないという試練(と言うほどのものでもないけど)を味わったというのは、(負け惜しみを込めて言うが)自分にとっては非常にプラスになったような気がする。いやいや本当にそう思う。

 ひとつには、優等生であるということをあっさり捨て去ることができたこと。

 私が通っていた小学校には、実は伯父が教員として長いこと教鞭をとっていた関係もあって、「あいつ、◯◯先生の甥っ子なんだぜ」と常に言われていたので、自分としては「よゐこキャラ」をかなり入念に作り込んでいたわけだ。その挙句の果てに児童会長なんて、なりたくもないのにやっていた。

 そのキャラをあっさり捨てられたこと。だって自分は私立中に受からなかったんだもの。当然でしょ、的な開き直りである。これは本当に良かった。

 ふたつ。人より後発で始めたのに人と同じことを真面目にやっていたということに対する大いなる反省。つまり、人と同じことをやっていても仕方ない、自分にあった自分だけのやり方でやらないと駄目だよね、という事実?に気付いたこと。これはその後の自分の人生にとっては非常に重要な指針となった。ある意味、真面目な努力よりも奇手奇策に走る悪癖はこの頃に形成されたわけであるが。

 みっつめ。意味不明の怒りを身体の中に植え付けられたこと。自分は現実から拒絶された、だからこそ現実に大して復讐をしてやろうという意味不明な怒り。この怒りは随分長いこと自分の行動をドライブしてきた。まあ要するに落第したというルサンチマンに過ぎないんだけどね笑。まあそういうことだ。

 よっつめ。自分が敗者になったことから分かる「敗者の痛み」ってこと。合格する人がいれば落第する人もいる。人はちょっとしたことで運命が変わる。だからこそ、そのちょっとの差に大きな意味はあるし、逆に言えばそこに大した意味もないってことを皮膚感覚として理解したというところ、だ。

 とにかく。

 自分としては現実を受け入れて、次のステップに進むというプロセスの中で一歩「大人」に近付いたということなんだろうと思うわけだ。ここで「大人」と言っているのは、「現実を受け入れつつ、その現実とどう折り合いをつけていくか」ということ。

 まあ「挫折」という月次な言葉になるんだろうけれど。

 要するに、十二歳という絶妙な年齢でプチ挫折を経験したことは非常に有益で、負け惜しみを承知で敢えていうが、本当にあそこで落ちてよかったんだと今にして思う。

 だからプチ挫折、バンザイ

 そういうものだ。

 と、月並みなオチで大変失礼しました笑。