BearLog PART2

暇な中年の独り言です

昔読んだような気もしたんだけど

 

旅人  ある物理学者の回想 (角川ソフィア文庫)

旅人 ある物理学者の回想 (角川ソフィア文庫)

 

 昔、小学校のときに通っていた塾の推薦図書にあったような気がしている。そのときに読んだような気もするし、読んでなかったような気もするし。多分読んでいなかったのではないだろうか。むしろ、その頃は失敗した中学受験なんかもあったから、ヘルマン・ヘッセの「車輪の下」の方がちょっとグッときたものだった。 

車輪の下 (岩波文庫)

車輪の下 (岩波文庫)

 

  小学校六年生の思春期真っ最中だった自分にはこっちの方がぴったりだった。

 それはともかく、三連休の間、娘の勉強を見ながら片手間に読んでいるうちに読み終わってしまった「旅人」であるが、いやはや湯川秀樹というのは、超一流の物理学者であると同時に、超一流の文章家なのだということにいたく感心をした。

 それに加えて、当時の学生がとにかく物凄い勉強をしていたということを知るにつけて、自分はその足元にも及ばないのだなあという当たり前の印象を持ってしまった。あまりに当たり前過ぎてもうオチのつけようもない。

 この当時の人々(湯川博士は1907年という明治末期のお生まれ)が如何に広範囲な教養を身に着けて世の中に出ていったのかを知るにつけ、本当に身の引き締まる思いである。湯川博士よりも時代は先になるが、森鴎外夏目漱石といった人々もまだまだ身近だった時代だ。その次代の知識人は当然のごとく漢籍素読の教育を受けていたり、第一、第二外国語で専門書を難なく読破したり、等々、当然のごとく我々のレベルを遥かに超えた知性をほぼ独力で獲得していたわけで、その知的滋養を考えると自分には大したアウトプットが出せないのも当たり前か、とも思えたりする。

 とはいえ、今を生きているのはこっちの方なので、こっちはこっちで頑張らなければならんのだなあと、湯川博士の端正な文章を読みながら思った次第。

 その横で、うちの娘が、仕事算などに苦戦をしているのを見ていると、勉学に励もうと決意する前から、溜息ばかり出る、文弱の私なのであった。

 とほほ。