数日前のこと。
娘が我が家のAlexaくんにリクエストをしていた。
「Alexa! NiziUをかけて!」
韓国コスメに夢中な娘からすれば、こういう曲にハマるのはよく理解できる。しかし音楽好きの父親はこの曲を聞いて、「?」と思った。そう言うまでもない。
テイラー・スウィフトの「Shake it off」だ。
NiziUが終わった後、父もAlexaくんに「Shake it off」をリクエストした。
AlexaくんはApple Musicからものの数秒で「Shake it off」を引っ張り出してきてくれた。偉い。
Taylor Swift - Shake It Off [Tradução] (Clipe Legendado)
二つの曲を聴き通した後で。
「何か、曲の感じ似てね?」と父。
「え? お父さんは『パクリ』って言いたいの?」と娘。
「いや、似てるってことが言いたいだけ」
「ふーん。でもいーじゃん。テイラー・スウィフトのやつって、歌詞全然分かんないし、似てても似てなくても、パクリでも何でも別に気にしないし〜」
あー。
なるほど、と思った。彼女の立場からすれば、別にオリジナリティなんか気にする必要は全くなくて、聴いて気に入ればそれで十分なのだ。
オリジナルを貴重なものとする考え方は著作権上の観点だけであって、それはリスナーの問題ではなく、作家たちの金銭授受とプライドの問題だ。
そうなんだ。結局、別に何でも良いんだ。元ネタが何であろうと、娘のような単なるリスナーにとっては、そこには何の意味もない。
そう。
そこにあったのは、元ネタを「知っている」ことを自慢したい中年オヤジの哀愁と汚臭が漂う自尊心だけなんだなーという発見をしたわけだ。
次の日どういうわけか、娘は「Shake it off」のメロディーを口ずさんでいる。
「テイラー・スウィフト気に入った?」と父。
「別に」と娘。
ほら見たことか。オリジナルは強いのだと、父は少しだけ溜飲を下げたのだった。
でもそんな娘は、今の今で言うと、YOASOBIの「夜に駆ける」に夢中になっている。リスナーはいつの時代も移り気だ。