BearLog PART2

暇な中年の独り言です

 傷

 今日は一日ずっとばたばたしていた。理由は色々とあるのだが、ここで子細を述べてしまうのはちょっと憚られる。まあ、誰も聞きたいとは思わないだろうし(笑

 さてさて。
 今日はひとつ印象に残る出来事があった。私の拙いビジネスマン人生の中でも多分これから何度も思い出す出来事になるだろう。それについて簡単に述べておきたい。
 夜、とある企業様とミーティングをしていたのだが、そのミーティングの席上でのこと。
 その企業様の責任者の方が、議論の席上で、唐突に「ちょっと愚痴を言ってもいいですか」とおっしゃった。
「私はその昔自分が雇われ経営者で、COO、CFOをやっていた会社を売りに出すとき、もう100余名の従業員を守るため必死でしたよ……」
「雇われ経営者」であるだけにこの言葉は痛切な響きを持つ。分かる人には分かるはずだ。オーナーにはオーナーの苦悩があるが、雇われ経営者にも雇われ経営者の苦悩があって、オーナーシップを持たないがゆえに、それは複雑にねじれ、当事者を苦しませる。
 どういう文脈でこの発言が出てきたかは聞かないで欲しい(笑)。自分が経営チームの一角を占めていた会社が立ちゆかなくなってしまい、その会社を閉じるという苦い経験を持つ私としては、その方の今の気持ちや当時の心境が痛いほどよく分かった。まあ、経営者は結果責任じゃないかと言うことは可能だし、実際そうだ。プロセスで釈明することは経営者には求められていない。
 しかし、である。
 その方は、会社を売却することによって、100余名の従業員を守ろうとする強い意志をお持ちだったわけで、結果云々というよりはその「必死さ」や「腹のくくり方」というところ、そこについてはやはり人間として共感するし、会社を売却するという手段で従業員の雇用を守るのであれば、それはそれで立派なやり方の一つなのだから、決断としては最良のものだろう。私なぞは50名弱の雇用を守れなかったわけで(爆
 自らが育ててきた会社を売る、もしくは閉じるという作業。その行為、過程は、当事者の心に大きな傷を残す。会社を閉じたという経験は、お恥ずかしながら私の心にも傷として残っている。それはもちろんかなり大きな傷だ。一生消えないだろう。
 ビジネスの現場で見えないはずの人間の心の傷がかいま見えた瞬間、私はふと泣きそうになった。ビジネスの現場で泣きそうになることなんかないのだが、不覚にも目頭がちょっとだけゆるんだ。
 誰にでも傷はあるし、傷というのは結果的には自分の行為が原因でつくものだ。しかし、その傷の痛みは一生消えないし、傷をもった人間は痛みをこらえて生きていくことになる。
 私の周辺は離婚経験者やベンチャー失敗者が何人かいる。みな、優しいよい男で、私の大親友である。傷なくして、生きてゆければそれはそれでけっこうな話だし、ご同慶のいたりなんであるが、傷ある人間はその痛みを一生背負う。

 ビジネスミーティングでは見えないはずの他人の傷をみた晩、しらふで帰るわけにはいくまい。神宮前の王子の店で一杯ひっかけた。最後に飲んだジンが、しみた。
 
 王子、ありがとう。疲れていたわけではないよ。