BearLog PART2

暇な中年の独り言です

 J.C.アベグレン博士を偲ぶ

 「終身雇用」「年功序列」「企業内組合」の三種の神器とでも言うべき概念を発見し、日本企業の新たなる分析に光をあてた博士の功績については、私のような無学な者が語るべきではないと思うので、子細は割愛させて頂く。友人の縁で、博士の晩年に、何度かご自宅にお邪魔したことがある、というだけの薄い縁の私だが、博士を偲ぶ会に参列させて頂いた。
 私が知っている博士は、ワイングラス片手に流暢な日本語、時折英語でにこにこ笑いながら、厳しいことを仰っているというプライベートの部分だけ、なのだが、あらためて博士の業績を眺めてみると、不肖の私でさえ偉大さが身に染みてくる。第二次世界大戦後の日本をその仕事場に選ぶなんて、そりゃ大変なものだし、そこで確固たる実績を上げてしまうというのは、なかなか真似できるものではないと思う。
 式場には実業界のセレブがあちらこちらに並んでいる。そりゃそうだろう。すごいものだ。
 最後になって、奥様からご挨拶があったのだが、このご挨拶が涙を誘った。一字一句間違わずに書き表すことはむりなのだが、私の宇乏しい記憶力によれば、
「私が金谷の別荘で畑仕事をしていたとき、耕すのが辛くなってしまったので、アベグレンに手伝ってくれとお願いした。私は普通にクワでちまちまやっていたのだが、アベグレンはスコップを持ってやってきた。スコップで何メートルかざくざくと耕した後で、『これは辛すぎる。ぼくには出来ない』と言って、何処かへぷいと行ってしまった。考えてみれば、硫黄島(博士は海兵隊員として硫黄島の戦闘に参加されている)や広島(博士は戦略調査団の一員として被爆直後の広島にも訪問されている)で、数え切れないくらい、穴を掘り、戦友やその他の人々を埋葬したのだということに思いを巡らせば、自分は本当に酷いお願いをしてしまった……」
 といったような内容であったと思う。人間的な恩讐を乗り越えて、日本とアメリカの間で、ビジネスや経営理論の橋渡しをした、博士のお人柄、まったくもって私のような凡人の理解を超えている。

 謹んでご冥福をお祈りします。安らかにお眠り下さい。

新・日本の経営

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日本の経営 〔新訳版〕

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