BearLog PART2

暇な中年の独り言です

 Nile Rodgers & Chic at Blue Note Tokyo

 Chicといえば、私の世代は本当にかろうじてひっかかるのだが、「クラブ」というよりも「ディスコ」といった風情で、きらびやかなストリングスのアレンジは、今聞いても{お?スガシカオか」というように後年いたるところでフォロアーやパクリを産み、ダンスミュージックとしてのゴージャス感やオサレ感は、今聞いても新鮮である。
 ということで、妻と二人でブルーノートに行って堪能してきた次第です笑 中核メンバーであったベースのバーナード・エドワーズは既にこの世になく、ドラムスもトニー・トンプソンではなく、オマー・ハキムであったけれども、ナイル・ロジャースのしゃかしゃかのギターカッティングは健在であり、ボーカルの女性も代替わりしたとはいえ(初代のボーカルの女性が会場に来ていたのはなかなかよい風情であった)、基本的なテイストはそのまんまの形で残っている。
 演奏のクオリティも文句の付けようがなく、「Dance dance dance」「Everybody dance」「I want your love」に始まり、ダイアナ・ロスの「I'm coming out」「Up side down」、アンコールはお約束の「Le Freak」と、完全に「懐メロ」ではあった。しかし、そこは中年の悲しさ、懐メロでもそれなりに踊れてしまったり、楽しんでしまったり、安易な批評性を排除するに足るエンタメ性、サービス精神、ゴージャスさ、たゆまぬファンサービス(ナイル・ロジャースは終演後、フロアでファンのサインや記念写真に和やかに、しかも長時間応じていた)、問答無用の超娯楽A級大作のかまえ。
 文句のつけようがない。楽しい。
 とはいうものの。
 何となく、菊地成孔DCPRGを活動中止とした理由を(勿論、私が理解している範囲内で、ということだ)、何となくではあるが、思い出してしまった。
 結局、「踊らせる、楽しませる」ということが宿命として「機能的」であり、そこに「批評性」が介在しないが故の「停滞感」とでも言えばいいのだろうか。演る側も楽しく、聴く側踊る側はもっと楽しい、そのまさにgoodなスパイラルは表現というものの緊張関係をある意味で(エンターテインメントとしての緊張関係は当然存在はするのだが)、麻痺させてしまう。さらに進化したり、新しい機能性を付加しようとしたときには、その停滞感、まったり感は足かせになってしまう。
 こういう楽しいステージを見た直後、私はいつも不思議な感覚に捕らわれる。「楽しい」のだが、どこは「割り切れない」のだ。「これでいいのかな?」と毎回思ってしまう。それは私の趣味として、芸術に「まだ聴いたことのないもの」を求めてしまうので、規定のフォーマットを上手に演奏することに対する価値を、どちらかというと低めだと考えているからなんだろうと思うけど、我ながら損な性分だ苦笑
 70年代、80年代初頭的な遊び人文化(歳くってからのミニスカートは……)がブルーノートという奇形的な小屋で21世紀に花開いていたという事実、有名人の姿をちらほら見かけたこと(つのだひろ氏、マネックス証券社長の松本大氏)、パーカッションのおじさんの芸としてのイッてしまった感、といったことは付加的に私の脳裏に刻まれている、ということを追加的に述べておく。

 ごちゃごちゃ言ったけど、最終的にはかなり楽しんでご機嫌に帰宅したことだけは明らかです。ナイル・ロジャースに握手もしてもらったしねと、結局はミーハーな私なのであった笑