引き続き、娘の勉強のお付き合いと格闘している。
勿論、別にそれだけやっているわけではない。仕事もしているし、能の練習もヴァイオリンの練習もそれなりにしている。勿論あまり上手くならないけど……。あ、仕事もやってますw
ここ最近、毎朝娘が家を出てから、夫婦で娘の勉強について語り合う時間が長くなっている。まあそれだけ問題含みだということだ。そんな折に、妻から「女の子の脳と男の子の脳は違う」というある意味尤もな指摘を受けたのだった。
「どういうこと?」と私は尋ねた。
「例えばよ」と妻は言う。「彼女(娘のこと)が昔通っていたお教室の先生が言っていたんだけど、『オリオン座のベテルギウスがどれだけ大きくて、どれだけ遠くにあるかを想像してみて、と言った時、実際に想像する女の子は一人もいない』ということよ」
分かったような、分からないような……。
確かに女性の脳と男性の脳は色々と違うところがあると喧伝されて久しいのだと思うけれども、そういうことを実感したことはあまりなかったから、正直なところ「ふうん?」としか思えなかった。
「ということはさ、例えば彼女に関して言うとだな。『素数って無限にあるって知ってた?』とかさ、『オリオン座のベテルギウスって、今空に見えている姿って、640年前だって知ってた?』とかさ、知的好奇心を刺激すべく言っているんだけど、意味ないってこと?」
妻の言わんとする事を自分なりに解釈して言ってみた。そうじゃない、と言ってくれることを少しばかり期待しながらw
「そうよ」
……期待はいつも裏切られる。
「結局」と妻は言葉を続ける。「彼女にしてみれば、『お父さん、なんか面倒くさい難しいこと言ってる』と思っている筈よ。だから、女の子としては勉強へのインセンティブをつけるには、男の子のような刺激ではなく、もっと身近なものを使っていかなければならないんだよ」
「だとするとさ、女の子の知的好奇心ってどこに向かうわけ?」
「う〜ん。だからもっと身近なところよ。彼女だったら、例えばこの前、野菜の品種改良をするような仕事をしたいとか言っていたでしょ? 美味しい野菜食べたいとかさ、そんな生活に密着したところ」
……なんか説得力があった。
……私は「自分は間違っていたのか……」という思いに囚われ始めていた。
娘に勉強を教える場合、自分は自分自身の過去を事例として引いてきて、彼女に当てはめて実践してみるということを長らくやってきた。結局のところ、私は教育のプロではないので、自分の経験を参照するしか方法がなかったということだ(とはいえ、最近は色々とそれっぽい本を読んで勉強しているわけだが……)。
自分が子供の頃、子供向けの天文学の本を読み、「ベテルギウスって人間に例えると老人なんだ。すげえな。最後爆発しちゃうのかよ!」と赤色巨星ベテルギウスの大爆発に思いを馳せ、「素数って無限にあるってよ。でもさ、大きな数って約数を持ちそうだけどな〜、どうしてだろう? 算数ってか数学って面白いなあ、真面目にやったらフィールズ賞取れるかな(取れるわけねえだろ)」、とか無駄なロマンに夢を膨らませ、その夢故に退屈な日々の学習をこなすことができた……という体験を参照しつつ、娘が関心を持ちそうなネタを合間合間で挟んできたのだ。
しかし、それが無意味だったということ?!
そうなのだ。それは無意味なことだったのだ。さらに妻は追い打ちをかける。
「結局、将来を睨むと色々なことを教えたくなるのは分かるけど、あなたが言ったことは、彼女に無用な混乱を引き起こしているだけで、多分何にもならないよ。彼女の頭が爆発するだけ。学校やバレエ学校の周りの家族もみんなそう。娘に対して父親はみんな、後々出てくる知識を教えたり、ウンチクを語りがちだけど、それやると、娘の頭は爆発して混乱してるかんじだってさ」
がびこ〜ん。
しょっきんぐしょーっく!!
そうなのか。勉強の合間に学習へのインセンティブ付けを企図して夢とロマンを語っていたのに、それは逆効果だというわけだ。
ま、親の子供に対する教育は純粋な意味でのサービスではないにしても、顧客である娘に何らかの形で満足してもらわなければ意味がないわけで、そういう観点で見ると私の場合は顧客満足度最低、だったということ。その恥ずかしい事実を妻から告げられたということ。
娘のためにと思ってやっていたことではあるが、結局自分の自己満足に過ぎなかったということが白日のもとに晒されたわけで、これは私にとっては十分に過酷な事実であり、それを認識することによって、ただでさえ低い自己肯定感(最近あちころで耳にするんだけどね)が、さらに下がったことは言うまでもない。
では自分はこれからどうやって娘の勉強に付き合っていくのか???
引き続き、悩みは深いのだった……。