BearLog PART2

暇な中年の独り言です

12月7日 笑いを忘れたカナリアは裏のお山に化けて出る

 一日オンライン会議。

 そのうちの一つは我が社の取締役会。自分が上程した議案で些細なところであるが、一箇所だけ修正された上で承認された。後で思料なおしておかなくちゃ。

 午後は来日している外国のお客様を投資先にご案内。しかし英語はできなくなっていることに今更ながらに(って、もともとたいしてできないんだけど)自らに呆れる。ほんとだめ。

 帰宅して娘の勉強の面倒をみようと思っていたのだが、本人全然勉強する気なく、ちょうどいいやその時間を読書に投入(仕事しろよ、という話もあるんだが)。友人から進められていた「笑い神」を読了。

 

 面白かった。

 そもそも自分は80年代の漫才ブーム以降、お笑いをあまりフォローしてこなかったので、ちょうどその空白を埋めてくれる本になった。

 80年代漫才ブームのとき、自分はちょうど中学生から高校生の頃で、ツービートの漫才に随分と癒やされたのをよく覚えている。自分の人生の中ではたけしの存在感というのは思うのほかあると思っている。結局、世の中の現実に対して真正面から向き合うことも時には必要なのだが、そればかりしていると疲弊してしまうので、斜に構えてときに黒いユーモアで現実を異化していくことも必要なのだなと悟ったのが、たけしのギャグだった。

 というのはどうでもいい話であるが。

 そもそも笑いにかける芸人さんの執念みたいなものが自分にはないのだなあということを感じ入ってしまった。どうせ生きるならば狂って生きるほうが楽しそうだ、あのたけしの漫才を初めて見た瞬間、たけしのオールナイトニッポンを初めて聞いたときの衝撃、その癒やされるような感覚(って何かおかしいけど)、それを少しだけ思い出したような気がした。

 しょせん、人生笑ってなんぼだ。

 自分はこういう笑いをすっかり忘れていたのだな。猛省である。