BearLog PART2

暇な中年の独り言です

5月19日 脱力中からの「ありふれた教室」

 昨日の披露が残っていたのか(思っていたよりもレッチリのライブは身体を動かさなかったので、筋肉痛なんかにはなっていないが)、朝起きれず。よって予定していたジムには行かず。ということで昨日アップリンク吉祥寺の席を押さえていた「ありふれた教室」に1回目に行く。ぎりまで寝て風呂入ってからさっと出る。何度か書いていることだが、アップリンク吉祥寺はまさに自分の家の延長のオーディオルームみたい。ありがたい。会員になっていいるのだが、元は十分に取っている気がする。

arifureta-kyositsu.com

 日経の映画評欄で見て、面白そうかなと思って行ったのだが、実際に面白かった。舞台はドイツの小学校、かな。教室の見るだけで、今のドイツの状況が何となくわかる気がする。要するに人種が多様なのだ。トルコ系、東欧系。そもそも主人公の女性教師はポーランド移民二世ということなっており、同僚にポーランド語で話しかけられると、周りの目を気にしてちょっと嫌な顔をして「ドイツ語で話して」と言う。

 日本でも外国籍の子どもたちが入学してきて、日本語の問題やいじめ等々で苦労しているというのはメディアの報道ベースでも聞こえてくる話だが、多分ドイツはその先の苦労をしているんだろうなあと何となく感じることはできる。

 話の内容はともかく、この主人公の女性教師が廊下を歩く、その歩く様子を移動カメラが追いかける。ひたすら追いかける。彼女の歩き方、その呼吸等々で、彼女の抱える問題、悩み、感情等が手に取るようにこちらに伝わってくる。舞台はほぼ学校の中、その閉塞感とともに、学校の外まで続く、多種多様な社会的課題が狭い空間でのカリカチュアライズされた物語から、見事に投影されていく。

 それがこの廊下を歩く主人公のカットだ。

 これぞ映画の力、ではなかろうか。

 そして弁証法的な解決も、何か妥協点が見つかるわけでもなく、物語は唐突に終わる。とはいうものの、ものすごくバッドなエンディングかというとそうでもない。でも明るいエンディングでもない。問題はまだ残っているのだということを鮮烈に見るものの心に刻みつける終わり方だ。ラストシーンに流れるのは、メンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」の序曲。メンデルスゾーンの踊るような音の戯れが問題の大きさ、重さ、深刻さを逆に浮かび上がらせる。

 疲れも吹っ飛ぶ面白さ。一見の価値はある。