BearLog PART2

暇な中年の独り言です

 メタ・メッセージ2

 また続きで思いつき。
 各種コミュニティ・サイトでは、必ず「好きなモノリスト」を提出させられる。音楽、映画、書籍等々。我々は今や「若衆宿」的な文化的共通体験を持たないために、好きなアイドルだったり、本だったり、映画だったり、そういった「共通の好きなモノ」をコミュニケーションのとっかかりにしなければならなくなってきた。これらがコミュニケーションの「暗黙の前提」になっている。
 人と人との関係性が「モノ」に対する感覚で決定していくようなかんじである。
ストーンズが好きなヤツってこんなかんじ?」
ロッキングオン読んでいるヤツってさぁ」
プラダ着ている女子って……」
 というようなカテゴライズ。
 逆に言うと、これは先細りのコミュニケーションになっていくような気もしているのだが、どうなんだろう?
 それはともかく、「モノ」への愛着を開示することによって、「言語」のみによるコミュニケーションを補完している世界、それが今現在なんだろう。
 コミュニケーションにおける暗黙知の部分、つまりはコミュニケーションの補完手段、「暗黙の前提」というのは、ちょっと昔は文化的共通体験(お祭りとか通過儀礼とか)であったのだが、今やアイドルやブランド品とか漫画だったりするのだ。この現実、何だか面白い。
 暗黙の前提(常識とでもパラフレーズしようか?)でさえも、「モノ」として構造化されている世界。
 マルクス的な「物象化」、ここに極まれり(苦笑)
 これ、ただの思いつき。