BearLog PART2

暇な中年の独り言です

 何やりたいんだっけ?

 こちらのエントリにある通り、一緒に酒呑んでいた友人としてそれなりのレスを。コメントというのも芸がないので、敢えてトラバにしてみた次第。深い意味はない。

 隅田川テラスウォーカー氏のような高邁なことは、私は実はただの一度も考えたことがない(汗)
 私が考えているのはただ一つで、「自分自身が楽しいか、気持ちいいと感じるかどうか」ということだけだったりする。
 心底嫌になってしまったら、撤退のスピードは恐ろしく速い。とはいえ、そんなに飽きっぽい方でもない(これには異論を唱える友人も多そうだが)ので、嫌にならなければではあるが、割と長続きする方だとは思っている。
 私一人がブラウン運動をしたとしても、世界はなるようにしかならないし、しょせん、ボルツマンの第二法則のように、宇宙はエントロピーで満ち溢れていくのだ、という寂しい世界認識が私の人生訓だったりする。
 まあ結局、時代なんていうものは一人の人間、一人の英雄によって作られるものでもなく、なるようにしかならない、という厳しいものだと思っている。
 実際、自分の人生を考えたところで、思う通りにいったことなぞ、ただの一度だってない。そのようなシビアな現実に大して、自らの希望や野望を旗印にして、ドンキホーテ的な戦いをしかけるのも、矛盾するようだが、別にキライではない。ただ、それが楽しくて気持ちいいものであれば、だ。
 でも、嫌だったら、どんなに社会的に意味のあることでもやりたくない、というのが本音だ。
 さてさて。
 ここで自分にとって「嫌」なものって何だろう?と考える。すると、あまり統一した基準はなかったりする。
 金か?
 というと貧乏していてもライターやっている頃は楽しかったし、
 志か?
 というと、高邁な理想を旗印に現実に矢羽根尽きたことも何度か、ある。
 まあ要するに、楽しいことがしたいのだ。でも、その楽しいことというのは、私の場合、アプリオリに決まっているわけではない。その場その場の関係性だったり各種状況だったりと、そこに統一的な方向性を見いだすことは自分であったとしても、けっこう難しい、というか不可能に思える。節操ないのだ、とにかく(笑)

 そういうなかで、自分の欲望が一つだけあるとすれば、新しい時代に、自らその時代を最前線で悪戦苦闘しながら経験し、その時代を何らかの形で正確に記録し、後世に伝えてあげたい、ということくらいか。

 そう。語り部として、つまりは面白いジイサンとして、後世の人に、先陣としての悪戦苦闘ぶりを伝えてあげたい、そのためには自分が最前線にいたい、それだけな気がする。
 それが自分にとって一番楽しいことであり、楽しいということは、きっとそれがやりたいことなんだろう(笑)