BearLog PART2

暇な中年の独り言です

 偶然

 午前中直行して外出。昼ごろオフィスに戻るべく、本郷三丁目界隈をだらだら歩いていたら、前の会社(某東証1部上場IT企業)の創業者殿とお会いした。
 本当に「ばったり」だ。
 声をかけたら不思議そうな顔をされたが、そりゃもっともだ。多分2、3年ぶりだろう。
 彼とは色々と縁があって、とあるディールをめぐって険悪な関係になったような気がしていたので、「私のことはキライでしょう?(笑)」と率直に聞いたら、「あのときはね(笑)」と言い、間髪居れずに「まあ、ぼくは人を憎まずというか、まあアホだからすぐに忘れてしまうんですよ」
 彼がアホだとは毛頭思わないが、過去色々あったことはおいておいて、また日本に戻ってきたときには食事でもしましょう、ということになってお別れした。立ち話で15分くらい話していただろうか。
 単純に懐かしかった。
 人間というのは、過去が自分の背中にどんどん積み重なっていくようなところがあるし、その積み重なった過去の重荷を背負わなければならないこともあるのだが、本音を言えば、そういう「重荷」はキライである。そんなもの、知ったこっちゃない!というのが本音だが、そうはいかないのも知っている。
 そこが難しいところである。
 それはそうと。最近都合のいいことを考えるようになった。敬愛する森毅が言っていたことで「人生20年説」というものがある。人間の60兆個の細胞は日々入れ替わりを繰り返しているから、多分20年くらいで全部入れ替わっちゃうじゃないの?って話だ。
 そう考えると、私は今42歳、二巡しているが、三巡目で数えるとまだ2歳(笑)
 ホンマモンの2歳児のときの記憶なんて、当の昔に飛んでいるが、でも今私は二巡すませた「2歳」なのだ。そう思うと、世界は学習の場であり、常に発見と驚きに満ち溢れており、そこで三巡目に入る自分の人生を楽しめるということは、きっと幸せなのだ。
 逆に、今までの二巡については、私は幸せに過ごすことができたのだ、と。
 柄にもなく感謝する日々。
 とはいえ、私はまだ2歳なので(笑)、きっとあちこちで粗相をするだろう。間違いもするだろう。不惑?そんなレベルに達するなんて無理無理(笑)
 色々とご容赦頂きたく(汗)