今朝ほどとあるところにお伺いして色々とご知見を頂戴してきた。ベンチャーキャピタリストという職業には我ながらあまり愛着はないのだが、今朝のように面白い話(情報)に誰よりも早く触れることができるというのは、尽きぬ魅力ではある。
細かいことを書くと守秘義務的に問題になりそうだだからお茶を濁すとして、そこで出てきた情報(=話)から自分自身で納得してしまったことがある。それは、、、
コミュニケーションの方法に価値はない。本質的な価値はコミュニケーションの相手に内在している。
というものだ。この感じ、分かって頂けるだろうか。さらに言ってしまえば、
コミュニケーションの相手が一番大事、コミュニケーションで伝達されるコンテンツが2番めに大事、そしてコミュニケーションの方法(≒テクノロジー)には価値はない。
携帯電話を考えてみよう。携帯電話自体が凄いのではない。固定電話の側にいない人(≒今までコミュニケーションできなかった人、相手)とコミュニケーションを取れるようになったことが価値なのだ。
SNSを考えてみよう。それはまだ見ぬ友達(≒今までコミュニケーションできなかった人、相手)とコミュニケーションを取れるようになったことが価値なのだ。
要するに、それぞれは手法(≒テクノロジー)に価値があったわけではなくて、その手法(≒テクノロジー)が連れてきた相手(コミュニケートすることが可能になったカウンターパーティー)が重要だったのだ。
コミュニケーションをとりたい人が大事なのであって、その手段が電話だろうとメールだろうとskypeだろうと、メッセンジャーだろうと、はっきり言って何でもいいわけだ。
ただし、特定の手段が新しい相手をしゃべる可能性をもたらしてくれた場合はこの限りではないわけだ。
こんな当たり前のことに、今日気が付いた。
気付かずに死ななくてよかった、とほっと胸を撫で下ろす私め、なのであるw