BearLog PART2

暇な中年の独り言です

 退廃の予兆

 今、さっき書いたNHKのBSでやっている「ロック50年の歴史」を見ながら書いている。画面では何と昔懐かしいイーグルスが「Hotel Carifornia」を歌っている。この曲には不思議な思い出があるのだ。
 95年にニューヨークに出張したとき、一緒に働いていたアメリカ人の連中が野球観戦に連れて行ってくれた。NYメッツとどっかの試合だったのではないかと思う。別に野球なんてどうでもよかったのだが、まあ誘われたので断る理由もなく、だらだらと行った。
 アメリカの球場では、確か7回くらいだったと思うが、「Take me out to the baseball game」(で。いいんでしたっけ?間違っていたら識者の方、訂正願う)とかいうような歌を流してみんなで歌うという習慣があるらしく、その試合でもそんなことをやっていた。
 問題はそっから先。もう10年も前のことなんで、うろ覚えなんだが、その「Take me〜」を流し歌った後で、何とイーグルスの「Hotel Carifornia」を流したのだ。そうしたら……何とアメリカ人の連中がみんな「Hotel〜」を口ずさみだしたのだ!
 ご存じの通り、この歌はアメリカの退廃を歌った歌として知られている。出るに出られない(You can check out anytime you like, but you can't never leave←だったよね?)お化けホテルに喩えて、アメリカの爛熟ぶりを揶揄した歌……というのはよく知られている話。
 退廃の歌をみんなで口ずさめるってどういうことなんだろう?と、アメリカ文化にまったく造詣のない私は素直に驚いたのである。
 テレビに映るイーグルスの映像は、その不思議な感覚を私のカラダの中に呼び起こした。

 我々日本では、みんなが口ずさめる退廃の歌、白鳥の歌を持つことができるのだろうか。いや、それは、むしろ持たない方がいいのかもしれない。とはいえ、退廃の予兆はある種の確信として、私の中に巣くっている。
 いずれ、我々は一億数千万人全員で、退廃の歌を歌うことになる、なるだろう、いや、なるに違いない。
 だとすれば、それは誰の歌なんだろう? もしくは、私の気付かないところで、それは歌われているのだろうか?